08.09.05

【空色ピアノ短編小説 彼と彼女が見つめる背中。】 いつも通っているはずなのに、 慣れてしまって目を瞑ってでもきっと歩けるはずなのに。 時間が違うだけでこんなに変わってしまうなんて 「うわぁぁん・・・怖いってのー!!」 響くこの声が、ますます彼女の恐怖心を煽る。 現在の時刻は「午後八時三十三分」 恋夢学園中等部のとある教室へと向かう廊下に、一人の少女の姿・・・ そして、もう一人・・・ 「ちょ、ちょっと!ちゃんとついて来てる!?」 「煩いな・・・いますって、つい十秒前にも答えたじゃないですか」 「いなくなったら本気で怒るからね!!!」 「はいはい・・・」 深いため息を吐きながら、少女の後に続く人影。 少女よりも小柄なその姿は、明らかに面倒臭そうな雰囲気を漂わせている。 こんな状況にあるのは、今から三十分ほど時間を遡る必要がある。 少しだけ、時間を戻してみよう・・・・・・ <今から約三十分前・・・> 「・・・もーっ!こんな時に限って電話に出てくれないんだからー!!」 ケータイを握りしめ、悔しそうに地団駄を踏む少女。 彼女の名前は、「小咲美保子」。 恋夢学園高等部に在籍し、学園で絶大な人気を誇るホスト部を支える部長である。 そんな彼女が、暗闇に支配された学園を目の前にして深いため息をついた。 再びリダイヤルするが、無機質なアナウンスが電源が入っていないと告げるだけ。 画面に表された名前は、「由沢光」。 彼女の恋人であるはずなのだが、全く反応がない事にうっすらと涙を浮かべている。 「やっぱ独りで来るんじゃなかったなー・・・」 と、その時だった。 くるりと向きを変え、目的を諦めて帰ろうとした瞬間。 怪訝そうに彼女を見つめる少年の姿が夜の闇に浮かび上がっている。 その姿を確認した美保子は、満面の笑みで彼に駆け寄ったのだった。 「そ、そうちゃーーん!!!」 「・・・なにしてんすか」 「暇!?暇なんでしょ!?」 「いや・・・」 「お願いっ!!中等部に忘れ物しちゃったから一緒に取りに行ってぇぇ!」 「は・・・?」 すがりつく美保子を振り払う事もできず、爽太は眉間にしわを寄せる。 ため息をつき、とりあえず事情を聞く事にしたのだった。 「・・・で?どうしたんすか」 「さっき部活中に中等部の教室でね、さっちゃんと話しててね、その時に課題をね・・・」 「忘れたんすか」 こくりと頷く美保子の姿を見て、爽太は何度目かわからないため息を吐いた。 「言いたい事はわかってますんで言わなくて結構です。 じゃ、行きますか」 「ほほ、ホント!?」 「さっさとしないと帰りますよ」 「い、行くよ行きます!!」 さっさと歩きだしてしまう爽太を追い、美保子は慌てて後について学園内へ。 門の鍵と校舎内への鍵は、すでに美保子が入手済み。 理由は、言うまでもないだろう。 「・・・あの」 「なに?」 「中等部のどこに忘れ物したんですか?」 「さっちゃんの教室」 「一番端じゃないすか・・・しかも三階」 爽太はため息を吐くのをあきらめ、何の反応を見せずにそのまま歩きだす。 美保子は怖がっているのか、歩くのが遅いのでそれに合せてゆっくりと。 「ぎゃっ!」 「なんすか。つか、なにその叫び声」 「だって!だって今なんか音したよ!?」 「気のせい」 「そんな事無いもん!そうちゃんがさっさと歩いちゃうから怖いんだもん!」 「おれのせいかよ」 「だってぇー」 「あーもー!!」 いい加減キレそうになるのを必死に抑え、爽太はすっと手を差し出す。 美保子はキョトンとするが、爽太は照れ隠しの為に強引に美保子の手を引っ張って繋ぎ、歩きだした。 「これで文句はないでしょ」 「・・・うん、ありがと、そうちゃん!」 ちらりと背後の美保子を盗み見て、爽太は小さなため息をついた。 だけど、こんなのも悪くない。 口元に笑みを浮かべ、爽太と美保子は目指す教室までまっすぐに突き進んでいた・・・ ・・・のは、この時までだった。 「・・・ね」 「なんですか」 「なんかさ・・・なんか違うよね?」 「は?」 「私の方が先輩でしょ?」 「はぁ」 「爽太、後輩でしょ?」 「・・・はぁ」 「なんかさ!この立ち位置違うじゃん!先輩として、私がそうちゃん守ってあげなきゃじゃない!?」 「・・・・・・」 何故か、爽太はこの時泣き出したくなっていた。 こんなに切ない思いをしたのは久しぶりだ。 爽太は一気に脱力し、そして美保子に告げた。 「・・・お先にお願いします、美保子先輩」 そして、三十分後。 あのときあんな事言わなければ そう後悔しているのは、今現在大後悔している美保子だけではない。 「先輩、おれ先に行きますって」 「だ、ダメ!私の何かがそれを許さないの!!」 「つまんないプライドなんて捨てちまいなさいっての」 「うぅー」 観念したのか、美保子は前を爽太に譲り、爽太はずんずんと前に進んでいく。 歩きにくさを感じるのは、美保子が服の裾を握りしめているからだ。 「ホラ、着きましたよ」 「あああありがと!! えっと、さっちゃんの席は・・・」 爽太は腕を組み、前のドアの前で寄りかかりながら手探りの美保子を見た。 初めのうちは面白がって、という感じだったが、少しずつそれは変わっていった。 「・・・かわい」 「え?なに!?」 「何でもないっすよ。つーか電気つけたら?」 「いや、不審者って通報されたら困るじゃん!」 「・・・」 すでに不審者のようなものだ、という爽太の心の叫びは奥底へと沈められた。 「あ、あったあった!」 「じゃあさっさと帰りましょーよ」 「うん! ありがとね、そうちゃん!」 「はいはい」 にっこり笑顔で、美保子は爽太の手を握る。 思わず手を振りほどきそうになってしまいそうになるが、ぐっと堪え、握り返してみる。 「そうちゃんも実は怖かった?」 「いーえ」 「男の子だもんねーっ」 その一言に、爽太は何かが切れた気がした。 「・・・馬鹿にしてるんすか」 「そんな事無いって!頼りにしてますっての」 「だったら男の<子>ってのはやめてもらえません?」 ぐっと美保子の腕を引き寄せ、爽太は美保子の肩を抱き寄せる。 何が起こったのかをよく理解できていない美保子は、動揺を隠しきれずに声を裏返して叫んだ。 「ちょ、ちょー!!!ななななにして・・・!!」 「何動揺しちゃってんすか」 「どどどど、動揺なんてしし、してない・・・っ!!!」 「してるでしょ、思いっきり」 顔を真っ赤に染めながら、美保子は爽太の胸板を押し返す。 そんな美保子を、爽太はとても楽しそうに笑みを浮かべながら見つめた。 「日頃、おれの事をガキ扱いしすぎなんすよ」 「だ、だって年下なんだから当たり前でしょ!」 「年下だと思って馬鹿にしてると・・・」 「・・・何してんだ?お前ら」 いつの間にやら外に出ていた美保子と爽太に声をかけたのは、眠そうな目の光だった。 美保子は光の姿を確認し、ほっとしながらも怒りながら駆け寄った。 「何で電話でないのよ!」 「壊れたって言っただろ。健吾が踏みやがって、今弁償待ちなんだよ」 「え?そ、そうだっけ」 「人の話はちゃんと聞けよな」 さっきまで自分にしがみついていた美保子の手が、今はこんなにも遠く感じてしまう・・・ 爽太は深いため息を吐き、美保子と光の間をわざとらしくすり抜けて立ち去ろうとした。 「じゃ、また明日」 「あ! ちょっとごめん、光」 美保子は光に鍵を渡し、門を閉めるように指示する。 爽太に追いつこうと、美保子は必死に走る。 「ちょっと待ってってば!」 「・・・なんすか」 「お礼!ちゃんと言ってなかったから・・・ありがとう」 ちらりと光の方を見やる。 彼は美保子に言われたとおり、重たい門を閉めている最中だ。 短くため息を吐き、爽太は美保子の頭を抱きかかえるようにして囁いた。 「馬鹿にしてると・・・その内気付かなかった一面にドキッとして惚れちゃうかもよ?」 「な・・・っ!?」 「顔、真っ赤。そんな顔してると、今度は抱きしめるだけじゃすまないっすよー」 ひらひらと手を振りながら、爽太は美保子に背を向けて歩き出す。 その表情は美保子からは見えないが、とても楽しそうで、満足げだった。 「この・・・っ!ガキのくせにーっっ!!」 そんな美保子の叫びもむなしく、嬉しそうな爽太の背中は夜の闇に溶けてしまった。 暗闇でもわかってしまうほど、真っ赤に顔を染めた美保子を残して。 彼女の心に、今までとは違う爽太の想いを刻んで・・・・・・