08.10.10

・・・最近、どうもおかしい気がする。 体の調子はいたって健康なはず。 それなのに、ごくたまにだが胸が苦しくなることがある。 苦しい、といった方が正しいかもしれない。 それも、常にではない。 体がおかしいと思って気にするようになり、そして気がついた。 ・・・おれの体の調子をおかしくしている存在に。 神坂春琉が原因だということに・・・・・・ 【空色ピアノ番外編 太陽と野良犬】 「・・・で?」 「で?ってなんだよ」 「なんだよコレ?原因はわかってんだ。どうすりゃ治る?」 「どうすりゃって・・・おれ医者じゃねーし」 「エリル先輩と秋斗にはお前に聞けって言われたぞ、光」 「・・・」 学生食堂で久しぶりに昼食をとっていた由沢光は、ここに来たことをさっそく後悔していた。 いつものように大人しく部室でパンでも食べていればよかっただろうか。 今日は彼女である小咲美保子が親友でありライバルでもある神坂春琉と中庭でピクニック気分を味わう とかなんとか言ってさっさと行ってしまった。 そんな気分の落ち込んでいる彼のもとに舞い込んできたのは、何やら面倒事。 しかも他人からなすりつけられた問題だ。 光は深いため息をついた。 「おれに聞かれてもよくわかんねーよ、佳乃。第一なんで春琉相手だとそうなるのか、なんてお前自身が よくわかってるはずだろ?」 「それがわかんねーからこうして聞いてんじゃねーか」 「そりゃそうだよな・・・じゃ、春琉の大事なモン何か壊して隠してるとか」 「ねぇよ、そんなこと」 「じゃあ・・・部活サボったとか」 「授業をサボったことはあっても部活はねーよ」 光は腕を組み、首をかしげた。 佳乃がふざけているようには思えない。 不良、なんて言われてはいるが、佳乃の誠実さ、真面目さを光はよく知っているからだ。 「おれのところに来たってことは、何かおれに心当たりがあるからか?」 「そうみてーだな。秋斗はあーあ、みたいな顔しやがって、エリル先輩はニヤニヤ笑ってやがったぜ」 「真悟先輩は?」 「おぉ、それなんだがな、あの二人が言うには真悟先輩には絶対言うなってんだよ」 「真悟先輩には、言うな・・・?」 どうも引っかかるその言葉に、光は一つの可能性を見出した。 もしかして。 でも、まさか・・・ 考えていても仕方のないことだが、この可能性なら、あの二人が自分にこの問題を押し付けてきた ことにも納得がいってしまう。 気に食わないが。 「・・・なぁ、佳乃」 「あ?なんだよ」 「もしかするとさ、お前・・・」 「はあああぁぁぁぁ!?!?!?!?!?」 学園中に響き渡ったのではないかと思うほどの佳乃の叫び声に、光はしらっとしてコーヒーをすすった。 周りの生徒たちは皆、怪訝そうな表情で佳乃を見つめている。 中には嬉しそうな表情を浮かべる女生徒もいるが、彼女たちは佳乃たちのお客なのだろう。 「な、なな・・・何を根拠に!?」 「腹たつけど、おれも同じだから。美保子の前だと、そうなることがある」 見透かされているようでイラつくが、この際だから仕方がない。 光はコーヒーカップを置いて、小さく、それでも力をこめて言い放った。 「佳乃、お前は春琉の事が好きなんだよ」 その日、部活に綾瀬佳乃の姿は見られなかった。 春琉が何度電話しても、佳乃の携帯は繋がらない。 彼女は怒りを露わにしていたが、彼を案じる様子も見られた。 自分たちが余計な事をしたからだろうか。 エリル・メディックは、そんなことをぼんやりと考えながら自作のシフォンケーキを切り分けていた。 チョコレートとキャラメルがマーブル状になった、ふわふわのケーキ。 甘ったるい組み合わせだが、意外とそうでもない。 それがこのケアクローバーの番犬である佳乃のお気に召したらしく、彼の好物となっていた。 エリルはそんな彼のためにこのケーキを作った。 元気付けるためでもあったのだが、どうやら失敗だったらしい。 「んもー!佳乃ってばどうしちゃったんだろ!?」 「さぁな」 事情を知るもう一人の人物・北里秋斗が知らぬふりをしているのを見て、エリルは苦笑する。 演技派だなぁ。 変なところで感心してしまう自分が、さらにおかしくなって笑ってしまった。 「どうしたの?エリル」 「いや、何でもないよ」 「でもどーすんだ?佳乃指名のお客さんも来るだろうし」 「仕方ない。今日は佳乃ナシでいこう」 「そう、だな」 秋斗はエリルの方を見て肩をすくめてみせる。 それをみて、エリルはもう一度だけ笑った。 「あっ、あぁぁぁぁ!!!」 「どうした?春琉」 「あいつぅぅぅ!!!」 「はぁ・・・」 そのころ、当の番犬は屋上でうなだれていた。 そこから見下ろすグラウンドでは、青春が繰り広げられている。 そんなつまらないことを思い浮かべつつ、佳乃はため息をついた。 佳乃がホスト部に入ったのは、春琉のしつこい勧誘がきっかけで、それに根負けしたからだ。 だけど、何かが違った。 春琉を少し見くびっていたのかもしれない。 あんなに小さな少女が、どうして自分なんかに構ってくるのだろうか。 毎日疑問だったが、じきに彼女が来ることを楽しみにする自分がいた・・・ そんなある日のことだった。 授業がつまらなくて寝ようと決め込んだ直後のこと。 勢いよく教室の扉が開き、戸惑う教師を無視して教頭が入ってきたのだ。 つかつかとおれの前まで歩み寄ってきた教頭を、おれは寝ぼけ眼で見上げる。 「校長室に来い、今すぐに」 面倒だったが、行かないわけにもいかない。 後でもっと面倒になったら、さらに面倒だ。 しぶしぶ椅子から立ち上がり、おれは校長室へと向かった。 そこには見覚えのない面の五人組が、見覚えのある他校の制服を着て並んでいた。 ひどく殴られたらしく、頬は腫れて、目の周りにはあざを作っている。 「彼らを殴ったというのは、本当かね?」 教頭の横で偉そうにふんぞり返っている校長が、おれにそう問うてきた。 頭をがりがりとかき、ため息を交えて言った。 「違う、って言ったら信じてくれんのか?信じねーだろーが」 「素直に自分がやったと認めたらどうなんだね?」 「んだよ。こいつらがおれにやられたって言ったのかよ?」 「当たり前だろ。でなきゃお前を呼び出したりしない」 「濡れ衣着せようってか?」 「だったら昨日の四時ごろ、お前は何をしていたんだ!?確かな証拠もなく、言い逃れをするつもりだろう!」 「四時?」 その時間は、ちょうど部活動が始まる時間帯だ。 毎日毎日、あいつがおれの前に現れる時間。 昨日だってそうだった。 でも、巻き込むわけにはいかねぇ。 何を言ったって無駄だ。 そう思ったおれは、諦めてやってもいない罪を受け入れようとした。 ・・・その時だった。 「綾瀬君は昨日の四時、私と一緒でした!彼は無実です、何もしていません」 校長室の張りつめた空気を切り裂いた、堂々とした声。 聞き覚えはある。 だけど、驚きすぎて振り返ることができない。 どうして、ここに? 疑問ばかりが渦巻くおれの隣に立ち、彼女はもう一度告げた。 「綾瀬君は何もしていません。私が証人です!」 「な、なんだね?今は授業中だろう!」 「友人が無実の罪で囚われているのに、黙って見過ごせません!」 「無実?どうして君が言うんだね?大体君のような生徒が彼と関わりがあるようには思えないがね!」 そりゃそうだ。 こいつは普通の女生徒で、おれは学園中の恐怖対象である不良なのだから。 もういい、とおれは彼女の腕を掴む。 だが、驚くほど強い力でそれを振り払い、彼女はまっすぐにおれを見た。 「何でもかんでも抱え込まない!自分一人が我慢すれば、なんて自己犠牲、必要ない! そんなの、周りが苦しいだけだよ!誰かに寄り掛かったっていいんだよ!頼ったらいい!一人じゃ、ないんだから・・・ 傍に、きっと誰かがいてくれてるからっ!!」 くるりと向きを変え、彼女は胸を張って言い放った。 「彼は、何もしていない。彼は私の大切な仲間です。私と一緒にいたのだから、彼らを殴るなんてできるわけがない。 彼は何の理由もなく誰かに暴力をふるうような人間ではない。 誰かを陥れようなんて、考えてませんよ。 ・・・教頭先生、あなたと違ってね!」 彼女の言葉に、教頭はびくりと肩を震わせる。 明らかに動揺している。 ・・・どういう、ことだ? 「ど、どどどどういうことだ!?何を言っている!」 「他校生を金で釣るなんて、結構稼いでるんですねぇ、教頭先生?」 「教頭ってそんなに儲かるのか?」 「そうでもないんじゃねー? ね、先生?」 三人の声が割り入り、おれはようやく振り返る。 校長室の入り口にいたのは、三人ではなく四人だった。 「美保子ちゃん!それに、光、真悟、秋斗っ!」 「やっほー春琉!お待たせっ!」 「ったく、お前が先走るから慌てたぜ。ちょっとくらい待てっての!」 「ど、どういうことなんだ!?」 「そりゃこっちのセリフですよ教頭先生」 美保子、と呼ばれた女生徒がゆっくりと教頭に近づく。 ほかの三人もそれに続く。 教頭は明らかに動揺しまくり、脂汗が噴き出している。 「あなたは綾瀬佳乃をこの学園から追い出すため、こんな猿芝居を企てたんですよね」 「金で釣った他校生を殴り、それを佳乃のせいにしたんだ!」 「証拠はそろってます。この写真が、すべてを物語ってますよ」 勢いよく投げてばらまいた写真には、教頭が五人に金を渡して殴っているところが鮮明に写されていた。 おれは呆気にとられ、何も言えなかった。 教頭も口をパクパクさせ、慌てた校長とその場にいた教師たちに問い詰められていた。 「・・・行こ、綾瀬君」 にっこりと笑う彼女に連れられ、おれたちは校長室を後にした。 こんなに清々しいのは、一体いつ振りだろう・・・ 「あ、りがとな・・・」 教室へ向かう途中で、おれは言った。 「気にしないで!あの写真もちょうどタイミングよく撮れてさー!苦労したんだよー」 「毎日張り付いてたかいがあったってもんだね!」 「張り付いてた?」 おれの疑問に答えるように、彼女は後ろを振り向いた。 そこにはさっきの男子生徒のうちの一人の姿。 不貞腐れ、顔には傷。 「ご苦労さま、健吾っ」 「ったくよー!なんでおればっかこんな役回りなんだよ!」 「仕方無いだろ。音声の証拠も欲しかったんだから」 「殴られ役、最高じゃねーか」 「ふざけんな!!」 「どういうことだ?」 「ふふ。 つまりね、この殴られ役の健吾はカモフラージュだったの。健吾の友達が持ちかけてきた相談事でね、 それがすべての発端だったってわけ」 「健吾の友達は隣町の高校に通ってて、万引きしちまったところを教頭に目撃されて脅されてたらしいんだ」 「万引きした店にはきちんと謝って、弁償して、今ではバイトしてるんだって!」 「そこに現れたのが教頭ってわけだ。あいつらを脅して殴り、お前に罪をなすりつけようとしたんだよ」 「それを暴いてやろうと、連日張り込みを続けてよ。カモフラで健吾を送り込んだんだ」 「まっっったくカモフラの意味ねーけどな!!」 「あ、ばれた?」 「おい!!!」 真面目なんだか不真面目なんだかよくわからないこいつらに、おれは思わず笑みをこぼした。 それはやがて大きくなり、おれたちは授業中だということも忘れて笑い合った。 ・・・そして、おれは。 「今回の礼に、今度はおれがお前を守ってやる。おれがお前と、お前の大事なモン守る番犬になってやるよ」 あの時のことが鮮明に蘇り、おれは思わず顔を覆った。 なんつーこっぱずかしいこと言ってんだ・・・ だが、光が言うとおり、確かにおれは春琉が好きだったのかもしれない。 あのまっすぐな瞳と心に惚れた。 だから、ついて行くと決めたんだ。 でも、その気持ちよりも大事な仲間が春琉を好きだと知った。 おれは番犬のままでいようと決めた。 揉める事はあっても、おれは春琉の番犬でいようと、そう決めたんだ・・・ もちろん春琉と喧嘩することもある。 最終的には傍に戻ってしまうあたり、彼は相当飼い主に忠実らしいが。 「・・・今も、好きなのか?」 真悟先輩を応援しようと決めたはず。 なのに、今更何だというのだろう。 「あーやーせーかーのぉぉぉぉ!!!」 「うわっ!!」 驚いて振り向くと、そこには春琉の姿があった。 佳乃は表情を歪め、春琉から視線をそらした。 ・・・やっぱり胸が苦しい。 どうしてだろう。 何が、起きているんだろう。 「よくも、よくも壊したわねっ!」 「は?なんだ?」 春琉が目の前に突き出したものを見て、佳乃は思わず口を大きく開けてしまった。 あの時春琉に首輪と称されて渡された首飾りが、その手に握られていたのだ。 昨日の帰り、革ひもが切れてしまったのをそのまま置いてきてしまったのだ。 すっかり忘れていた。 ・・・そうか。これが原因だったのかもしれない。 春琉からもらったこの首飾りは、いわば証明。 彼女を守ると誓った、約束の証しなのだ。 それをつけていない、忘れたというのが罪悪感に変わり、春琉を恐れたのかもしれない。 「肌身離さずって言ったじゃん!」 「いや、その・・・」 「言い訳なんて見苦しい!」 「・・・はい、すみません」 頭を下げた直後、春琉がおれの頭をがっちり押さえつける。 何事かと思ったが、掴まれているせいで顔をあげることができない。 「・・・よし。なに悩んでるんだか知らないけど、部活サボるのだけは絶対許さないからね!」 ようやく解放されたにも関わらず、おれは顔を上げられなかった。 首に、新しい紐をつけられた首飾りが揺れていたからだ。 「佳乃はウチの、私の番犬なんでしょ?しっかり守ってくれなきゃ、困るんだから」 ようやく顔をあげ、佳乃はにっこりと笑った。 春琉の頭をぐりぐりと撫でまわし、力強く言い放った。 「そうだな。おれがお前とお前らケアクローバーを守らねーとな!!!」